気がついたら、カーマインは引きづられていた。 ファーの部分を掴まれているようで肩が上がる。はっきりとしない視界に死んだように動かない手足と、胸元が見えた。胸元には霞んだ視界にもはっきりとわかるような違和感があり、ああ器を壊されたんだな、とカーマインは理解した。わかることはそれと、暗い壁だけだ。どうやら、どんどん裏路地の方へ連れていかれているようだった。 偽誕者は器を壊されると能力が制限され、さらには身体能力も大幅に落ちてしまう。なぜなら、器が偽誕者にとっての"体"―――要はすべてだからだ。中身を喰われた"俺たち"にとってその足りない部分は顕現によって補われている。その補給がたたれるのだから、体も心も落ちてしまってもしょうがない。 顕現を使った勝負の上では、強い偽誕者ほど命を取るのではなく器を壊す傾向にある。強い偽誕者はより強い偽誕者を求めるのか、そういった屈辱を与えるようなまねをして相手が強くなって帰ってくることを願うのだ。実際カーマインも、ある程度の強さを持つ偽誕者は器を壊すだけにとどめている。 器を壊されるだけで既にカーマインにとってはかなりの屈辱だというのに、このファーを引きずる奴はいったいこれ以上何をしようというのだろう。思うように動かない手足を動かそうと力をこめてみるが、微かに手が震えた程度で終わってしまった。どうやら傷はないようだが、うまく動かない体は悪態をつくこともできずにいた。しかし、引きずっていた男(身長が随分高そうなので、そう判断した)はそれに気づいたのか足を止める。 次の瞬間壁に向かって強く投げられた。背中を強かに打ちながらも、壁に投げた本人を睨みつける。 『強欲』の、アイツだ。 黒い髪に、紫の光る目を携えた男だ。左目はその髪に隠れており、隙間から怪しく光っている。撫で付けた髪の隙間から一本毛がたっており、それはくるんと丸まっていた。 特徴的な紫のコートに右手を突っ込んでいる男は、下に何も着ず、鍛え上げられた肉体を惜しげもなく晒している。普通は急所になるその部分をおっぴらげているのは、自信からかただ見せたいだけかわからない。 元忘却の螺旋最強の男――強欲の収穫者”ゴルドー”はカーマインの体を、ミミズが這うようなスピードで嘗め回すようにしつこく見た。その視線は見られているものが不快になるような、モノを見定めるような動きだった。 視線を合わせる。ゴルドーは軽く笑っていて、目元は薄く閉じられている。端から見ればいい感じのお兄さんに見えるかもしれないが、カーマインは鳥肌がたった。自分の中の危険だという警報が鳴り響いている。 器を壊した男を懇切丁寧にこんな裏路地に運び込むのは、甚振りたいからだ。カーマインがゴルドーに何か恨みを作るようなマネをした覚えはないが、そういった怨恨や怒り―――もしくはただ単に興味かもしれないが。そういった何かの為に、ここにつれてこられたのは明白だった。 男はゆっくりとした足取りで、片手をポケットに突っ込んだままカーマインの方へ近づいてくる。カーマインは擦れた視界の中、どうにかこの男の隙間をくぐり抜けて逃げられないものかと隙を伺うが、ゴルドーからは一分の隙もなく、右にいくか左にいくかそれとも正面から逃げるか思案しているうちに、その身長と体つきからは予想できなかった素早い動きで前に詰め、両腕でカーマインを挟むようにして壁についた。 そのままゴルドーは何をするでもなくカーマインと睨み合う。ゴルドーの身長がやたらと高いせいで、男だとしてもそこまで低くないカーマインでさえ上を向かなければ視線が合わないほどだった。見下ろす顔には張り付いたような笑みが浮かべられていて、カーマインはその顔に唾でも吐いてやりたかった。 「…テメェ…こんな所につれてきて何がしてぇんだ…」 何をされるのかは分からないが、カーマインは耐える自信があった。何がおこっても自分は変わらない、という強い軸のようなものがあるのだ。殴られ蹴られしたところでカーマイン自身の性格や理念が変わることはちっともないし、変えられまい。器を壊した相手をこんな裏路地につれこんで甚振るようなヤツなら尚更だ。 カーマインが挑発的な笑みを浮かべると、男は気分を良くしたのか、にんまりと笑ってカーマインに笑いかける。 「知りたいか?カーマイン」 腕を動かさずにゴルドーはカーマインに顔を近づける。目の中を覗き込むような動きにカーマインも見返すように覗き込むが、暗闇が凝縮したような、掻き混ぜてもそこが見えない泥沼のような、深い紫と黒の混ざった目だ。勇んでにらみかえしつつも、悪寒が走るのを体が止められない。偽誕者特有の、研ぎすまされた神経系も今はまったくといって働いておらず、だんだんと感覚が戻ってきたカーマインは今度こそ悪態をついた。 「ハッ…しらねぇよ。なんだ?おままごとでもするつもりかぁ?」 悪寒を見て見ぬ振りするようにからかうように言えば、ゴルドーはその手で勢いよく首を攫みカーマインの頭を壁に押し付ける。急に締まった首に咳き込むが、ゴルドーは気にも返さず首を攫んだまま空いた片手を体の下―――股のあたりに持っていった。 「教えてやるよ」 カーマインはゴルドーの意図に気づいて青ざめ、体を捻らせるがそれは器を壊された人間以下、偽誕者以下の弱い生き物の無駄な抵抗にしかならなかった。 |